4094 ブッダガヤからバスに5時間揺られて、パトナの町に着いた。パトナはゴミの多い町だった。これはインドのどの都市でも言えることだけれど、ここは特にひどい散らかりようで、吹きだまりみたいな場所にビニール袋が山のように堆積していた。

 インドの町が汚いのは、伝統的カースト制度の影響もあるのだという。ゴミを処理するのはカーストの最下層の人々の役割であり、それ以外の人はゴミに触ることを極端に嫌がるというのだ。
 2,30年前までなら、それでよかったのかもしれない。たとえポイ捨ての文化であっても、ゴミの量自体も知れていたし、生ゴミや紙や木なら、自然に分解され土に還るものだったからだ。でも、そこに安いプラスチックやビニール袋が大量に入ってくると、事情が一変する。風に吹き寄せられたビニール袋は、放置しておいても百年後もなくならない。カラスも野良牛も食べてはくれない。

 今のところ、インドの人々は町がゴミに埋もれていく現実に気付いていないように見える。いや、本当は気が付いているのだけど、気が付かないフリをしているだけなのかもしれない。
 とにかく、このゴミの山を目にしただけで、パトナの町で一泊しようという気は失せてしまったので、その日のうちにネパールとの国境の町・ラクソールまで行くことにした。

 

ネパール行きのデラックスバス

 ラクソール行きのバスは、ボディーの横っ腹に「デラックス・バス」と大きく書かれているのだが、文字とは裏腹にひどいオンボロだった。誰かが後ろから押さないことにはエンジンがかからないし、ブレーキをかけたりアクセルを踏んだりするたびに、窓が勝手に開いたり閉まったりした。

 いくらボロでも時間通りに着いてくれれば文句はないのだが、もちろんすんなり行くわけがない。まず渋滞に巻き込まれた。英語のできる乗客が教えてくれたところによると、この辺りの村の子供がトラックに跳ねられて死んだことに腹を立てた村人達が、道路を石で塞いで通れなくしているらしい。この辺では、こういう出来事は珍しくないのだそうだ。もっと違う抗議の仕方もあるんじゃないかと思うんだけど、インドではこういうものらしい。

 渋滞を抜けると、今度は二度ほどパンク修理のために止まり(パンクはアクシデントのうちに入らない)、夜になるとヘッドライトが故障して立ち往生してしまった。もちろんバスには予備のライトなど積んでいないし、近くの修理工場はどこもシャッターを降ろしていた。こんなところで一晩を明かすことになったら悲惨だなぁと思っていると、車掌がどこかから懐中電灯を2本調達してきて、それで道路を照らして走ってみようということになった。

 しかし、真っ暗の田舎道を懐中電灯の細々とした光だけで走るのは、かなり無謀な試みだった。周囲は畑ばかりだから道を逸れたとしても問題はないのだが、対向車が僕らのバスに気が付かなくて衝突する危険があるのだ。実際、対向車が近づくとクラクションを鳴らしながら懐中電灯を振り回して、こちらの存在を誇示しながら走ることになった。

 そんな状態でも、運転手は慎重に走るどころか、今までの遅れを取り戻す勢いでアクセルを踏み込むのだった。行き当たりばったりというか、出たとこ勝負というのがインド流なのだ。しかし、この国では車両整備は義務づけられていないのだろうか?
 そんなこんなで、バスがラクソールに着いたのは午後11時過ぎだった。予定よりも4時間遅れての到着だったが、何とか無事に着いたことをシヴァ神に感謝するべきなのだろう。

 ラクソールには安宿がいくつかあったが、どれも陰気臭くて不潔そうだった。国境で一夜を明かすためだけに作られた宿だから、サービス精神というものが全くないのだ。僕は仕方なく、その中でも幾分マシな――それでも代用監獄みたいに殺風景な――宿にチェックインした。どうせ眠るだけなのだから、贅沢なんて言うべきじゃない。

3663 次の朝にネパールに入った。ネパールへ入国するにはビザがいるのだが、国境で簡単に取ることができた。イミグレーションにしても、日本のパスポートを持っていれば顔パスみたいなもので、申請用紙の半分も記入しないうちに、係官が「あんたは行っていいいよ」と言って通してくれた。

 カトマンズ行きのバスは8時半に出発した。朝、国境を越えてきた旅行者は、日本人が5人とデンマーク人3人とオランダ人とドイツ人が2人ずつで、みんな眠たそうな顔をしていた。バスが動き始めると、それぞれが荷物を膝に抱えた格好で、動物園のコアラのようにぐったりと眠っていた。

 バスはまずインドから続く平野部を北上し、それからヒマラヤに続く山岳地帯に入った。北上するに連れて、道を歩く人々の顔つきが変わっていった。南にはインド・アーリア系の彫りの深い顔立ちの人が多かったが、北に行くほど僕らに似たモンゴロイドの割合が多くなった。細く険しいつづら折りの道を、バスはゆっくりと登っていった。

 

 

日本食レストラン「桃太郎」

3656 カトマンズに着いて、僕が最初に向かったのは巨大仏塔ボダナートではなく、日本食レストランだった。カトマンズに何軒かある日本食レストランは、どこも安くて美味しいという評判を聞いていたからだ。

 その土地で一番ポピュラーなありきたりの食堂に入ってみる、というのが僕の旅の基本的なスタイルなのだけど、インドに入った頃から急に日本食が恋しくてたまらなくなっていた。
 理由はカレーにあった。僕は好き嫌いの多い方ではないのだけど、インドとバングラデシュのカレー攻勢には閉口した。何しろどの食堂に入っても、出てくるのはカレーばかり。豆カレー、ジャガイモのカレー、カリフラワーのカレー――最初の頃はともかく、毎食これでは飽きてしまう。バングラデシュでは主食がお米だったからまだ食欲もあったのだけど、インドの主食であるチャパティー(混ぜものをしたぱさぱさのパン)にはどうしても馴染めなくて、ただでさえ細っていた僕の食欲が更に減退していたのだった。

 それではと、カルカッタやブッダガヤでは観光客向けの食堂に入ってみたのだが、そこでも「インド人の味覚センスはどうなっているんだ?」と首をひねりたくなるような不思議な味付けの料理が出てきた。ある食堂に、「OYAKODON」というメニューがあったので試しに頼んでみると、鶏肉を生姜味のするスープで煮た物体をぱさぱさのお米にぶっかけた、「猫まんま」みたいな奇妙な食べ物が出てきたりした。もちろん、うまいくはなかった。

 

3639 カトマンズでは、「タメル」というツーリストエリアに宿を取った。タメルには膨大な数の安宿や世界各国のレストランや両替所が集まっている。それに加えてトラベル・エージェントやインターネット・カフェやトレッキング用品店など、旅人に必要なものが何でも揃うという、まさに「バックパッカー・パラダイス」だった。バンコクの「カオサン通り」も大規模なツーリスト街として有名だが、タメルはそれ以上である。外貨収入のほとんどを観光業に頼っているというネパールという国の特徴が、この街に見事に現れていた。

 僕はそのタメルの一角にある「桃太郎」という名前の日本食レストランに入った。宿を出て、ぶらぶらと歩いているときに、その漢字の看板が目に入ってきたのだ。
 中に入ると、懐かしい醤油の匂いがした。日本語で書かれたメニューも用意されていて、そこには『すき焼き定食』『豚の生姜焼き』『ナスの味噌炒め』『親子丼』『きつねうどん』といった食欲をそそる文字が並んでいる。でも、店に入る前から頼むものは決まっている。

「カツ丼ください!」
 僕は確信を持って注文する。130ネパール・ルピー(220円)と値段は高めだが、カツ丼以外には考えられない。料理ができるのを待つ間、日本から衛星を使って配信されるという毎日新聞をペラペラとめくりながら、しかし僕の頭の中はカツ丼のことでいっぱいである。衣がカリッと揚がり、醤油の利いたダシが煮え、卵が半熟になったところで火を止める・・・。
「はい、カツ丼」
 ネパール人の男が、カツ丼とみそ汁をテーブルの上に置く。丼の蓋を取ると、温かい湯気が立ちのぼる。僕は割り箸をぱちんと割り、一呼吸置いてから最初の一口を口に運ぶ。甘辛いダシ醤油の味、卵とご飯の見事なハーモニー、そしてなんと言ってもカツ。サクサクの衣とジューシーな豚肉。これは本物のカツ丼だ。まがい物や間に合わせの和食ではない、本物だ。僕は口いっぱいに広がる幸せをかみしめながら、カツ丼をかき込んだ。

 

3659 意外だったのは、日本人よりもむしろ欧米人の客の方が多いことだった。僕の隣のテーブルには、アロハシャツに短パンというカトマンズに似つかわしくない格好をしたドイツ人が、カツ丼と一緒にわさびを注文して、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べていた。本人は至って美味しそうに食べていたけれど、真似したいとは思わなかった。

 結局、僕はカトマンズに2泊する間に、この店に5回も通った。2回目には『すき焼き定食』を、3回目には『ナスの味噌炒め』を、4回目には『親子丼』を試してみたが、やはりカツ丼とのファースト・コンタクトの感動には遠く及ばなかった。そして、最後にもう一度『カツ丼』を食べた。

 

カツ丼率8割の謎

3688 この後、僕はカトマンズに行ったことがあるという日本人旅行者に旅先で出会うと、そのたびに「日本食レストランで、最初に何を食べましたか?」という質問をぶつけた。その結果は驚くべきもので、なんと8割もの人が「カツ丼」と答えたのだった。僕はこれを『カトマンズのカツ丼の法則』と名付けることにした。

 でも、どうしてカツ丼なのか、理由ははっきりしなかった。ほとんどの人が「ただ何となくカツ丼を頼んでしまったんです」と答えた。しかもみんな口を揃えて「でも、日本いるときには、カツ丼なんてあんまり食べないんだけど」と言うのである。

 僕にしても、日本にいるときに好んでカツ丼を食べたという記憶はない。せいぜい年に一二度食べるぐらいのものだ。日本食の代表は聞かれて、寿司、天ぷら、すき焼き、などはすぐに思い浮かぶけど、カツ丼と答える人は少ないはずだ。

 それが、どうしてカトマンズではカツ丼を頼んでしまうのか。僕はその秘密がインドにあるのではないかと考えた。カトマンズを訪れる長期旅行者の多くが、僕のようにインドから国境を越えてやって来た人だったからだ。
 インドにいると肉を食べる機会が少なくなる。インド人は習慣的にあまり肉を食べないからだ。ヒンドゥー教徒にとって牛肉はタブーだし、一切の肉類を口にしないベジタリアンもかなり多い。だからインドでは肉料理があまり発達していない。

 そんなインドを経て辿り着いた安息の地カトマンズで、旅人がカロリーの高い肉料理を求めるのは当然のことだろう。油で揚げたトンカツに加えて、醤油の利いたダシ汁と卵とご飯を一緒に頬張る。そのことを想像しただけで、旅人の口の中は生つばでいっぱいになり、雨上がりの蛙のようにお腹がグーグー鳴りはじめるのだ。

3889 しかし、それだけでは決定的な理由にはならない。カロリーが高い肉料理とご飯を一緒に食べたいのなら、生姜焼き定食でも、親子丼でもいいということになるからだ。
 親子丼にはなくて、カツ丼にはあるもの。それは名前のインパクトの強さである。メニューをざっと眺めて『カツ』という字を見ると、思わず目を向けてしまう。カツ丼にはそういう字ズラの強さがある。カツ海舟、カツ新太郎、小林カツ代・・・どれも強そうである。

 カツ丼の謎はともかく、カトマンズで食べた日本食の味にはとても満足した。満腹になるまで食べたのも久しぶりだった。でも、そんな日本食漬けの二日間を終えて、この先の旅が少し不安になったのも確かだった。
「こんなに美味しいものを食べてしまったら、ネパール料理やインド料理を食べ続けるのが、もっと辛くなるんじゃないだろうか?」と思ったのだ。

 この後、僕はネパールの山村を一週間かけて歩くことにしていた。文明の恩恵から遠く離れた、ハードな旅になりそうだった。そこで食べられるのは、今まででも一番の粗食に違いない。そんな旅の前に、こんなにうまいものを食べてしまったら、後悔することになりはしないだろうか。
 僕はどちらかというと、自分の好きなものを後に残しておきたいタイプである。ショートケーキなんかは苺を最後に食べたい方なのだ。

 でも、その心配は杞憂に終わることになる。腹が減っていればどんなものでも美味しく感じられるというのは、世の中の数少ない真実のひとつなんだと、僕はネパールの山奥で思い知ることになるのだった。