ミャンマー南部にあるパテインという町で、芸大の写真科で写真を勉強しているという女の子と出会った。
彼女は母親から譲り受けたという古いペンタックスのマニュアルカメラを持っていた。僕も以前父親からのお下がりのニコマートFTNというカメラを持っていたのだけど、金属的な手触りと重量感がそれとよく似ていた。
「写真を勉強してはいますけど、写真家になるつもりはないんです」と彼女は言う。「写真で生計を立てられる人なんて、ほんの一握りでしかないでしょう。アラーキーとかヒロミックスとか、そういう特別な才能を持った人じゃない限り、無理な世界だし。それに私、写真よりも本当はアニメーションを作ってみたいんです」
彼女の人生設計は、大学卒業後、しばらくカメラマンのアシスタントとして働き、お金を貯めて外国を旅し、最終的にはアニメーターになる、というものだった。好きなアニメは「ドカベン」と「ムーミン」。年は若いのに趣味は古い。ドカベンもムーミンも、僕らの世代の少し前だ。
「写真科の実技って、変なのが多いんです」と彼女は言う。「例えば『モノクロフィルム3本使って石を撮ってこい』って言われるんです。質感を表現するための勉強なんだって。石の次には木、その次には金属を撮るんです。そういうのって、役に立つんでしょうか?」
「さぁね。役に立つか立たないかの問題じゃなくて、写真表現の基礎を覚えるために必要なことなんじゃないの?」
僕はそう答えたものの、もし自分がそんな授業を受けていたら、写真が嫌いになっただろうなと思った。課題を与えられて、それをこなして、他人から評価を受ける、というケーススタディーをこなしていくことは、僕のスタイルの正反対に位置するものだから。
僕はフォトグラファーを名乗ってはいるけれど、写真を体系的に勉強した経験は全くない。大学、専門学校、ワークショップ、写真スタジオ。そういったものに一切関わってこなかった門外漢である。他人がどう写真を撮っているか、ほとんど知らない人間である。
「じゃあ何から写真を学んだんだ?」と聞かれると、「旅から」としか答えようがない。写真についてのほとんど全てのことは、旅をしながら学んだ。旅をしなければ写真を撮らなかっただろうし、写真という目的がなければ旅を長くは続けられなかったと思う。
目の前に見知らぬ人がいる。近づいて写真を撮る。それは一瞬の出来事で、余り深く考えている時間はない。アイコンタクトを取って、ファインダーを覗いてシャッターを切る。それだけだ。シャッタースピードを考慮している余裕も、ほとんど場合はない。全てコンピューター任せである。
必然的に僕の写真の大半は失敗作だ。納得できる作品は、せいぜい100枚に1枚、下手をすると2,300枚に1枚しかない。そして僕はその確率を上げることよりも、より多くシャッターを切ることを選んだ。まさに「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の論理である。
だから僕は「フォトグラファー」だと名乗るときに、いつも抵抗を感じている。それよりは「トラベラー」と名乗った方が、ずっと自分らしいと思う。でもプロフィールの欄に「旅人」と書いてあるのを他人が見たら、「こいつはいったい何者なんだ?」と怪訝に思うに違いないから、「旅フォトグラファー・フリーライター」などと書いているのである。
実際のところ、僕にとって「写真を撮ること」よりも重要なのは「その場所に立っていること」の方だ。被写体の前にカメラを持って立つ――それで僕の写真の80%は決まっている。その後どう撮るかは、せいぜい20%ぐらいのものでしかない。
たぶん僕は「モノクロフィルムで石の質感を出せ」という課題を与えられても、落第すると思う。あるいは石じゃなくて全然違うものを撮るかもしれない。いずれにしても落第には変わりないけど。
だから僕は旅をする。見知らぬ町をてくてく歩き続ける。奇跡みたいな一枚が撮れることを信じて、シャッターを切り続ける。