ちょうど100日間におよぶインド一周旅を終えて、3月18日に日本に帰国しました。

 インド一周旅の最後の2週間は、コロナウイルス騒動に翻弄された日々だった。

 インドは当初からインドはコロナウイルス感染者が非常に少ない(3月20日時点で137人)国のひとつだが、その理由について「水際対策の成功」や「手洗い習慣が有効」などの見解が出ている。しかし一番効いているのは「暑い国」という単純な理由ではないだろうか。WHOの地図でも、熱帯・亜熱帯に属する国で、今のところ感染爆発は起きていない。

 

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 インドは「濃厚接触」の国だ。頻繁に握手をするし、ハグをするし、人口密度が高いから人と人との距離が近い。バスや列車は満員ですし詰め。それでもウイルスがさほど広まらないのは、地理的・気候的な要因が大きいのだろう。イタリアやイランは涼しくて乾燥して、ウイルスの飛散に有利だったのではないだろうか。

 もしそうだとすると「今後北半球の国々は春から夏を迎え、気温と湿度が上がっていくに従ってコロナウイルス感染者も激減する」というシナリオには説得力があると感じる。

 3月2日からは毎年恒例となっている「バラナシ撮影ツアー」を行ったのだが、最後の最後まで本当に開催できるのかわからなかった。インドビザの発給が停止され、事実上の「入国拒否」状態になったのは、ツアーのお客さんがインドに入国した数日後のこと。滑り込みセーフ。本当に幸運だったと思う。

 

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 3月6日に撮影ツアーが終わってからは、ゴール地点であるオリッサ州のプリーに向かった。途中に立ち寄ったブッダガヤはいつもなら日本人観光客が多い町なのだが、コロナウイルスの影響を大きく受けて、日本人や韓国人旅行者の数は激減していた。泊まった宿もお客がいないので、大幅に値引きしてくれた。

 ビハール州とジャールカンド州を駆け抜け、3日間で1000キロを走り、ゴールしたのは3月9日だった。
 今回はバイクのトラブルもなく、転倒や事故もなく、すこぶる健康にインド一周を終えた。コルカタでギックリ腰になって散々なスタートだったけど、それが回復してからはほぼ休みなしで移動と撮影を続ける日々。振り返ってみると、あっという間の3ヶ月だった。

 

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 プリーではいつものように日本人宿「サンタナロッジ」に泊まった。ここに泊まった目的は、写真家のタシデレ中田さんと再会して、写真談義に花を咲かせること。中田さんの写真は街角スナップのお手本だ。構図の中に驚きとユーモアがあり、変化し続けるインドという国への愛情が込められている。

 この6年間、タシデレ中田さんと僕は毎年インド(やネパール)で会って話をしている(毎年一度の再会なので、我々はこれを「七夕」と呼んでいる)。彼と僕はインドを撮り歩く写真家としてお互いを認め合った「同志」であり、撮影の苦労も喜びも、成功も失敗も、全てを共有できる無二の存在だ。
 今回の「七夕」も、大きな刺激を受け取った三日間になった。僕とは違う視点で撮られた中田さんの写真には、いつも新しい発見がある。彼に負けちゃいられない。そういう思いがインドを撮り続ける原動力のひとつになっている。

 3月12日にブバネシュワール空港から首都デリーに飛んだ。これまで訪れたインドの田舎町ではマスク姿の人を見かけることはほとんどなかったのだが、さすがに空港は違った。スタッフはほぼ全員マスク着用だし、乗客の2割ほどがマスクを着けている。本格的な防毒マスク的なものものしい装備の人もいる。インドもコロナウイルスを「対岸の火事」だと捉えられなくなったようだ。

 3月13日にはインド政府が外国人観光客の入国禁止措置を発表した。これによって外交や就労などを除く全ビザの効力が4月15日まで停止されることになった。インドの観光産業には大打撃だが、コロナウイルスの蔓延で先行する諸外国の二の舞にならないためには、やむを得ない措置なのだろう(その後、3月19日には、モディ首相がテレビ演説し、新型コロナウイルス対策として22日午前7時から午後9時まで全土を対象に外出禁止令を命ずると発表した。また22日から1週間、すべての国際線の旅客機の受け入れを停止すると発表した)。

 3月14日と15日には、デリーで講演会を行った。今年で4年目となるデリー講演会だが、今年はインドの日本企業でもコロナウイルスの影響で自粛ムード、自宅待機モードが広がっている中での開催となったが、みなさんとても熱心に聞いてくださった。こんなときだからこそ広い世界に目を向けて、旅の素晴らしさを追体験してもらいたい。参加者の方々にもそんな思いが伝わったようだ。

 

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 本来なら3月15日の夜行便で日本に帰る予定だったのだが、コロナウイルスの影響でエアインディアのフライトがキャンセルになり、二日後の17日発に振り替えられることになってしまった。

 インド滞在最終日には、デリー空港にそばにある「エアロシティーWorldMark」というショッピングモールを訪れた。高級ホテルやブランドショップがテナントとして入っている新しいモールだが、こちらもコロナウイルスの影響でお客の姿はほとんどなく、店員の方が多いぐらいだった。
 最後にもっともインドらしくないインドを訪れて、そして何も買わずに帰ってきた。

 

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 デリー空港はショッピングモール並にガラガラなのかと思いきや、けっこう人がいた。フライトのキャンセルも多かったが、平常時の半分ぐらいは乗客がいた。手続きはスムーズだった。チェックインカウンターもイミグレーションも空いているのでスイスイと進んだ。

 デリー発成田行きのエアインディアは搭乗率50%ぐらいだった。減便が効いているのか、往路よりも乗客が多いぐらいだった。しかし日本人乗客は2割以下で、旅行者はほとんどいなかった。

 

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 離陸直前になって、僕の隣に乗っていた女性客が「今気分が悪いので、広い場所に移ってもいいですか?」とCAさんに訊ねた。CAさんは「いいですよ。空いてる席はたくさんありますから。でも、今は気分が悪いなんて言わないほうがいいわね。飛行機飛ばなくなっちゃうから」と答えた。
 そりゃそうだ。乗客の多くがマスクを着けてピリピリとしたムードの中で、急に「気分が悪い」なんて言い出されたら、ドキッとするよね。

 約7時間のフライトの後、無事に成田空港に到着。成田は快晴で、気持ちのいい青空が広がっていた。
 出国までの手続きもとてもスムーズだった。検疫もサーモグラフィーの前を通るだけで、特別なことは何もしていなかった。職員全員がマスクを着用している以外は、いつもの空港のように見えた。

 

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 京成線の乗客は僕一人を除いて全員がマスクを着用していた。間違って女性専用車両に乗ってしまった時のような居心地の悪さだった。「3ヶ月インドにいたのでコロナは大丈夫なんですよ」と言い訳したくなったが、静まり返った車内で、僕も黙ってスマホを見つめていた。

 帰国までの数日間、ずっと気がかりだったのがアメリカ、特にニューヨークの状況だった。
 コロナウイルス感染の中心地は中国・アジアからヨーロッパへと移り、さらにアメリカ大陸にまで拡大しつつある。特にニューヨークではあらゆるイベントが中止になり、働く人の大半が自宅待機を命じられている状況だという。
 このままでは4月14日~18日に予定していた僕のNY個展の開催は難しいだろうと思っていた。だから日経ナショナルジオグラフィック社から「写真展の延期」が正式に伝えられたときには、本当にほっとした。

 開催時期は今後のコロナウイルスの状況を見て日経ナショジオ社が判断するとのこと。今のところ、今年の秋を目処に動いているが、状況次第ではもっと後になる可能性もあるだろう。いずれにしても中止ではなく延期なので、1年近く準備してきたものがすべて無駄になるという最悪の事態は避けられそうだ。

 今、世界中が新型コロナウイルスの脅威に怯えているが、一日も早く収束して、東京にもニューヨークにもインドにも平穏な日々が戻ってくることを願わずにはいられない。