ミャンマー西部ラカイン州にあるロヒンギャの村を訪れて、まず最初に感じるのは子供の多さだ。とにかくそこらじゅうに子供がいる。裸でぶらぶらと歩いている幼児や、まだ幼いきょうだいに抱っこされている赤ちゃん。壊れかけの(あるいは完全に壊れた)自転車に乗って遊ぶ男の子。村中いたるところ、子供だらけなのだ。
そんなところに見慣れない外国人(つまり僕のこと)がふらりと現れたりすると、暇を持てあました子供たちの格好の餌食になる。好奇心いっぱいの目をした子供たちが、なんだなんだと集まってくる。気が付くと2,30人の子供に囲まれていた、なんてこともよくある。
ロヒンギャの子供たちはとても元気だ。元気があり余りすぎて、こっちが疲れてしまうほどだ。彼らは金魚の糞のように、いつまでもどこまでも僕の後をついてくる。何かモノをくれとか、そういうことは一切ない。ただ、ついてくるのだ。
2000年代の初め頃のバングラデシュも、似たような状態だった。外国人がやってきただけで、すぐに何十人もの子供たちが集まってきて大騒ぎになったものだ。しかし今はそこまでの熱狂はない。バングラデシュでも経済成長とともに徐々に子供の数が減りはじめ、大多数の子供が学校に通うようになったからだ。「暇を持てあました子供たちがその辺をぶらぶら歩いている」ということ自体、少なくなったのだ。
ロヒンギャの人口増加率はいまだに高いままだ。正確なことはわからないが、どの夫婦にも4,5人の子供がいるという印象だ。これはロヒンギャたちが移動の自由を奪われ、高い教育を受けることも高い賃金を得ることも許されず、貧困に釘付けにされたことによる結果だ。貧困率の減少と識字率の上昇に伴って出生率が低下するという現象は、アジア各国で何度も確認されている。実際、ロヒンギャの村に隣接する仏教徒のラカイン人の村には、それほどたくさんの子供はいない。
ミャンマー政府はロヒンギャ住民の人口増加を脅威に感じ、ロヒンギャに対して公的福祉を行わず、不法移住者として国外に追い出すという政策を採ってきたが、皮肉にもこうした差別的境遇が逆にロヒンギャの人口増加率の高止まりを招くことになった。もしロヒンギャにラカイン人仏教徒と同じレベルの医療と教育が与えられていたら、そして女性たちにも現金収入が得られる仕事があったら、結果はかなり違っていたはずだ。
「我々には限られた土地しかない。他の町で仕事をすることも許されていない。それなのに子供の数だけが増えているのは大きな問題だ」と村の学校で教師をしているアヘサヌール・ホキさんは言った。「でも、誰もそれを問題だと思っていないんだ。私のアドバイスに耳を傾ける人は少ない。子供が増えるのはいいこと。コーランにもそう書いてあるって。でも現実を見なければいけないよ。これ以上子供が増えたら、村は人で溢れてしまう」
子供の笑顔は素敵だ。彼らの純粋な瞳の輝きは、いつだって僕を幸せな気持ちにしてくれる。
しかし、子供の数の圧倒的な多さが「ロヒンギャ問題」の原因のひとつであると同時にその結果でもあるという事実は忘れるべきではない。
ミャンマー西部ラカイン州に住むロヒンギャの村で出会った少女。アルミの鍋に小さな穴を開けた独特の道具を使って、川の水でお米を洗いに行く途中だ。ロヒンギャの子供たちはみんなよく家事を手伝っている。
ロヒンギャの少女がアルミ製の水瓶に汲んだ川の水を運ぶ。水汲みは川と家との間を何往復もする重労働だが、当たり前のこととして笑顔でこなしているのが印象的だった。
川で洗濯するロヒンギャの少女。もちろん洗濯機なんてないから、石鹸をつけて木の板に押しつけて洗う。毎日の洗濯と水汲みは、女の子の重要な仕事だ。
ロヒンギャの子供が魚を捕る網を持って川に向かう。乾季の12月は小魚しか捕れないが、それでもおかずの足しにはなるようだ。
ロヒンギャの村では足踏み式の米つき機(踏み臼)が現役で活躍中だ。米ぬかを取る以外にも、スパイスを粉にするときにも使っている。ぎっこんばったん、子供もお母さんを手伝って杵を踏む。
ロヒンギャの少女が、マドラシャー(イスラム学校)でコーランの一節を暗唱する。毎朝子供たちが通うマドラシャーでは、アラビア語で書かれたコーランをひたすら暗記することに重点が置かれている。
少女がマドラシャー(イスラム学校)に向かう。マドラシャーには聖典コーランとコーランを置くための木の台を持って行く。分厚いコーランは家族の誰かから譲り受けたもののようだ。