ホイアンは中国風の古い家屋が残されているベトナム有数の歴史地区であり、外国人観光客の数も多い。「ユネスコ世界遺産登録」なんていうお墨付きを貰ってからは、訪れる日本人もぐっと増えたという。
でも正直に言って、僕はホイアンの町自体にあまり魅力を感じなかった。深緑色の苔に覆われた木造家屋も、現在はそのほとんどが土産物屋か欧米人ツーリスト向けの洒落たカフェに姿を変えていて、そこからかつて栄えた王朝時代の貿易都市の姿を想像するのは容易なことではない。だいたい、僕は観光地というものがどうも苦手なのだ。
そんなわけで、ホイアンの旧市街をぶらっとひと回りした後は、地図も持たずに思い付くまま貸し自転車を走らせた。
ベトナムでは、たいていの安宿で自転車を借りることが出来る。宿になければ、町中にあるレンタル自転車屋で貸してもらえる。値段も1日100円と安い。
貸し自転車は、シクロとの料金交渉の必要もないし、好きなところへ勝手に出かけることが出来るから、僕のような「行き当たりばったり旅行者」にぴったりの乗り物なのだ。
ただし、ベトナムの自転車の質は、はっきり言ってひどい。サドルにクッションはないので、すぐにお尻が痛くなるし、フレームは錆付いている上にやたらと重い。乗り心地よりも、頑丈さを重視したタイプの自転車である。高校生の頃にアルバイトで乗った郵便配達の赤い自転車と、構造的には同じものだ。
このタイプの自転車は、何しろ根が丈夫なだけに、ろくに手入れもされていないものが多い。ひどいのになると、ハンドルが曲がっていて真っ直ぐに走れなかったり、5分おきにチェーンが外れたりする。こうなると楽しいサイクリングどころの話ではない。
ベトナムで自転車を借りる時には、最低限タイヤの空気とブレーキの利きぐらいは確かめておかないと、身の安全に関わることにもなりかねないのだ。
でもホイアンの宿で借りた自転車は、比較的マシな部類に入るものだった。宿の従業員も「これはグッド・コンディションだ」と自信たっぷりに送り出してくれた。でもアクシデントというのは、時として何の前触れもなく襲いかかってくるものである。
そこに現れた双子
ホイアンの町を抜けてから、僕は気の向くままに自転車を走らせた。太陽の位置でおおよその方向を決めると(そうしないと道に迷って帰れなくなる)、あとは阿弥陀くじでも引くみたいに、適当な道を曲がった。
しばらく行くとドゥボン川に突き当たり、潮の匂いの混じった南風を感じながら、川沿いの小道を走った。舗装などされていない石っころだらけの道を走るので、硬いサドルに乗せた尻がすぐに痛くなったが、それでも気分は高揚していた。
地図も持たずに見知らぬ土地を進んでいく。ペダルを踏むたびに、新しい道が、見たことのない風景が、嗅いだことのない匂いが、目の前に現れては消える。それはとても自由な感覚だった。
しかし、その高揚感はそう長くは続かなかった。何の前触れもなく、突然ペダルの踏みごたえがなくなり、カラカラと空しい音を立てて空回りを始めたのだった。最初はチェーンが外れたのかとも思ったが、そうではなかった。十分ほどあれこれいじってみたが、結局どこがどう故障したのかもわからずじまいだった。
さて困った。ホイアンの町からここまで1時間近く走り続けてきたわけだし、その道のりを自転車を押しながら歩いて帰るとなると、一体どれだけ時間がかかるかわからない。太陽はゆっくりと、しかし確実に西に傾いている。日が沈んで真っ暗になってしまえば、帰り道さえわからなくなってしまう。
そんなところに現れたのが、双子の女の子だった。二人はお揃いの赤いトレーナーを着ていた。すっと伸びた長い髪も、澄んだ瞳もそっくり同じだった。二人は僕との距離を測るように、3mぐらいまで近寄ってから立ち止まり、それからじっと僕を見た。
僕の知る限り、男の双子というのは違う服を着たり、髪形が少し変わっていたりと、違いがわかりやすいことが多いのだが、女の子の場合には何から何までそっくりということが多いように思う。
僕の前に現れた双子も、感心するほどよく似ていた。まるでコピー・アンド・ペーストで作られた画像のようだった。年は10歳ぐらいで、ベトナム人にしては珍しいほど肌が白く、顔立ちは端正だった。森に迷い込んだ旅人に正しい道を教えてくれる妖精の役をやらせたら、ぴったりとはまりそうだ。
「ハロー」意を決したように右の子が言った。「ハロー」左が続いた。「旅人さん、旅人さん、私達は森の妖精です。何かお困りですか?」とはもちろん言わなかった。
「ハロー」と僕が答えると、安心したように双子の表情が緩んだ。それから二人は頭を寄せて、ひそひそと何かを言い合い、くすくすっと笑った。笑った顔もそっくりだった。
双子はしばらく相談した後、僕の自転車を指差して何か言った。僕はベトナム語がさっぱり理解できないので、身振りから推測するしかないのだけど、どうも「自転車が壊れたのなら、修理屋で直してもらえばいい」と言っているようだった。「修理屋はどこ?」と僕は尋ねた。
「あそこ」
二人が指差したのは、わずか二軒先の民家だった。
なんてラッキーなんだ。僕はそう思う一方で、ちょっとした不安も感じていた。まるで僕の自転車が故障することを予測していたかのような修理屋の出現と、それを教えてくれた非現実なまでにそっくりな双子。偶然にしては、なんだか話が出来すぎている。
「さぁ、行きましょう!」
僕がそんなことを考えているうちに、双子は自転車を修理屋まで運ぼうと押し始めた。僕は彼女たちの違いを見つけようとしばらく見比べてみたが、どこをどう見ても同じだった。本当によく似ている。僕は小さく首を振って、双子と一緒に自転車を押した。
変な外国人の自転車が壊れた
修理屋の主人は、気の良さそうなおっちゃんだった。僕が身振りで状況を説明すると、
「ちょっと待ってな。すぐに直してやっから」
と言って(たぶんそんな感じだと推測するわけだが)、自転車を修理台に逆さに置いて、ペダルの部分を分解し始めた。おっちゃんの手つきは、とても慣れたものだった。こんな故障はよくあるんだ、といった感じだった。
ベトナムでは、自転車は何度も修理してボロボロになるまで使うものだから、どんな田舎の村にも修理屋があるらしい。当たり前のことだけど、彼らは僕の故障を待ちかまえていたわけではなかったのだ。
修理を見守っていると、子供達がわらわらと集まり始めた。どうやらさっきの双子が「変な外国人の自転車が壊れたんだって」と近所に宣伝して回ったらしい。この辺りまで外国人がやってくることは珍しいのだろう。たちまち好奇心の塊みたいなたくさんの目が、僕を取り囲んだ。しかし囲んだのはいいけれど、誰も英語を話せないし、僕だってベトナム語がわからない。いつまでもニコニコし合っていても、間が持たない。
すると、双子がどこかの家から年長のお姉さんを引っ張ってきた。彼女が近所の子供達を代表して、習いたての英語で質問することになったらしい。
「どこから来たの?」と彼女が聞く。「日本」と僕が答える。
「年はいくつ?」 「26」
「結婚はしてる?」 「してない」
「この時計は日本製?」 「残念ながら中国製なんだ」
「これ高い?」 「安物だよ」
「私のはベトナム製」
そう言って、彼女は自分の腕時計を僕の目の前に突き出した。そこには確かに《Made in Vietnam》と刻印されていた。僕はどういう答えを期待されているのかわからなかったので、「ベリー・ナイス」と答えておいた。
お姉さんが一問一答をベトナム語に訳すと、その度に二十数人の子供から歓声と笑い声が起こった。別に面白いことを言っているつもりはないのだけど、とにかく物珍しいのだろう。日本でも「年齢は26歳です」って言っただけでどっとうけたら、これは楽だと思うけど。
「この子の名前は、リック」「この子はヘン」「それで、この子はカンね」「それでこっちが・・・」
一人一人の名前がお姉さんに呼ばれると、その子が「答えのわかった人」みたいにハイっと手を上げて、顔をくしゃくしゃにして笑う。僕が顔と名前を一致させられるのは3人が限界で、それ以上は誰が誰だかわからなくなってしまった。
そうこうしているうちに、修理が終わった。自転車屋のおっちゃんは、「ここがね、駄目になっていたんだ」とギヤとシャフトの接合部品を指差した。よくわからないけど、このような要の部分が壊れるなんて、相当なボロ自転車なのだろう。何が「グッドコンディション」だよ、まったく。でも、とにかく直ってよかった。
「カムオン(ありがとう)」
僕は礼を言って、1万5千ドン(100円)の修理代を払った。そして、おっちゃんの油まみれの右手と握手をした。
「5万ドン!」と双子は口を揃えた
さぁ、これでやっと町に戻ることが出来る。急いで走れば日没までに帰れるだろう。僕はほっとした気持ちでサドルにまたがった。ところがそこに「待って」の声を掛けたのが、あの双子だった。
「こっちに来て」
双子は斜向かいの家を指差した。何だかよくわからないまま、僕は双子に引っ張られるまま、その民家の玄関をくぐった。藁葺きの小さな家の中では、二人の女がろくろを回していた。焼き物を作っている作業場のようだ。
「これ、マイ・マザー」と右の子が言った。
「マザー」と左が繰り返した。「こっち、グランマザー」と右。「グランマザー」と左。
二人の女は手を休めずに、顔だけこちらに向けて軽く微笑んだ。お母さんが足で蹴ってろくろを回し、おばあさんが粘土を壺形に整えている。奥には小さな窯もある。家内制手工業的にシンプルな焼き物工場だ。
棚には焼き上がった壺や皿や動物の形の笛などが、所狭しと並んでいた。ホイアン旧市街の土産物屋にも、これに似た焼き物がたくさんあった。こうした小さな工場で作られた焼き物が町で売られて、農家の副収入になっているのだろう。
双子は棚に置いてあるカエルの形の土笛を手に取って吹いてみせた。土笛からは、オカリナに似た素朴な土の音色が聞こえてきた。
「これ買う?」と右の子が僕の目を覗き込んで言った。
「買う?」と左が続いた。
「いくら?」
反射的に言ってから、しまったと思った。まさかこんな田舎の村で、子供に物を売りつけられるなんて予想もしていなかったから、不意を突かれてしまったのだ。でも、もう遅い。
「5万ドン!」待ってましたとばかりに、双子は口を揃えた。
そいつは高い、と思ったけれど、口にはできなかった。彼女達に修理屋まで案内してもらったのだから無視するわけにはいかないし、かと言って値切り交渉を始めるのも嫌だった。これがもし、強欲そうな土産物屋のおばちゃんが相手だったら、とことん値切るだろう。こんな土笛が5万ドン(330円)もするはずがない。せいぜい1万ドンというところだ。
しかし相手はおばちゃんではなく、妖精みたいな双子である。正直に言うけど、僕は美人に弱い。美少女にはもっと弱い。しかも双子の美少女、ワンツーパンチである。この勝負は、はじめから僕のKO負けが決まっていたようなものだった。
結局、僕は双子の言い値で笛を買った。僕が財布から5万ドンを出すと、双子はちゃんとそれを母親の元に持っていった。母親はその中から小遣いとして、二人に1万ドン札を渡した。双子は嬉しそうに僕の方を見て言った。「もうひとつ買う?」
「買う?」
やれやれ、これじゃキリがない。ベトナムの物売りは、平気で元値の5倍10倍もの値段を吹っかけてくるし、ひとつ買えば必ず「ふたつ買え」「みっつ買え」とさらなる追い討ちをかけてくる。市場や土産物屋ならそれもわかるのだけど、田舎の子供にまでそんな営業トークが浸透しているのを見ると、ちょっとうんざりした。
僕は双子の声が聞こえないふりをして家の外に出ると、急いで自転車にまたがった。こういう場合は逃げるが勝ちだ。しばらく自転車を走らせてから後ろを振り返ってみると、楽しそうに手を振りながら小走りに追いかけてくる双子の姿が見えた。
「もうひとつ買う?」
双子の弾んだ声が小さく聞こえてくる。「ひとつで十分だよ」
僕は手に持ったままの土笛をポケットに突っ込んで、一度だけ双子に手を振り返してから、ペダルを強く踏み込んだ。