ダッカを走る鉄道の線路沿いには、「ボスティ」と呼ばれるスラム街が何キロも続いていた。住む土地のない人々が、線路脇の空き地に勝手に小屋を建てて暮らしているのだ。小屋といっても、竹の骨組みにボロ布を巻いただけのひどく粗末なもので、雨風をしのげるのかどうかも怪しいぐらいだった。
それでも、こうした場所に定住することが出来るのはまだマシな方で、スラムからもあぶれてしまった人々は公園やゴミ捨て場の脇などで、段ボールやボロをまとって生活していた。彼らの集まる場所には、独特の異臭が漂っていた。長い間掃除されていない動物園の檻の中のような臭いだった。大人達の多くはごろんと横になり、何をするでもなく、ただじっとしていた。その顔には表情というものがなく、その目は何も見ていなかった。
このホームレス達の中で労働らしいことを行っていたのは、乾燥したミカンの皮を刃物で切り刻んでいる女だけだった。20歳から40歳までの間ならいくつにも見えるという年齢不詳の女だった。彼女が何のためにミカンの皮を切り刻むのか、僕にはよくわからなかった。ひょっとしたら煮炊きに使う燃料にするつもりなのかもしれない。
動かない大人に対して、子供達は物乞いをしたり使えそうなゴミを拾ったりして、健気に歩き回っていた。子供はだいたいが上半身裸で、飢えのためにお腹がぽっこりと張っていた。ゴミ箱の近くには、食べられそうなものを手当たり次第に口に運んでいる少年がいた。彼はバナナの皮を食べようとして諦め、次に発泡スチロールの板をちぎって口に入れた。そんなもの食べちゃいけないよ、と僕は日本語と身振りで伝えようとしたが、彼は自分の食べ物が横取りされると思ったらしく、僕の手をぴしゃっと払いのけると、またゴミ箱漁りを始めた。
ボスティ・線路沿いのスラム街
ダッカの貧民街やスラム街を歩いていると、貧しさも決して一様ではないことがよくわかった。貧困の中にも、ややマシな貧困と最低の貧困とがあった。最下層の人々は、存在すら無視されていた。その辺の野良犬や野良牛のように、「ただそこにあるもの」として扱われているように見えた。
物乞いもたくさんいた。生まれつき両手が無い子供、両目の白濁した少女、下半身が無くて這いずり回っている男、枯れ木のように細く乾ききった体を地面に投げ出す老婆。様々な不具を抱えた人間が、「無い部分」を通行人の目の前に差し出していた。その「無い部分」こそが、彼らにとって唯一の存在証明であるかのように。
目を背けたくなるような悲惨な光景も、この街では剥き出しのまま容赦なく目に飛び込んできた。最初にボスティを歩いたとき、僕はしばらく何も考えられないほどのショックを受けた。バングラデシュという国に来たからには、貧困や物乞いは当然予想されるものだったけれど、それを現実に鼻先にまで突きつけられると、頭が混乱し、目を閉じてしまいたくなった。それは僕の想像の範疇を超えたものだった。
それでもとにかく歩き続けた。今は何も考えられなくてもいい、とにかく歩き続けようと思った。喧噪も、汚れた空気も、すさまじい貧困も、それがダッカという街のあるがままの姿であるなら、そこから目を逸らさずに歩こうと決めた。
これはテレビじゃないんだ。チャンネルを変えたら、それでぷっつりと場面が切り替わるわけじゃない。
ボスティを歩いた話をすると、ハルさんは首を振った。
「どうしてあなたは、そんな汚い場所に行く? そんな危ない場所を歩く?」
「どうしてって、歩きたいから歩くんですよ」と僕は言った。
「何も盗まれなかった?」
「ええ。何も」
「それは運がよかっただけだよ」とハルさんは言った。「あなたはダッカのことをよく知らないんだ。あそこにいるのはね、泥棒ばっかりなんだよ。私の友達は、ピストルで脅されてお金を取られたこともある」
それからしばらく、ハルさんはボスティがいかに危険であるかを僕に説いた。
「ボスティに住んでいるのは、バカばっかりだよ。バングラの恥だよ」ハルさんは語気を荒げた。「ねぇ、マサシさん。もう二度とあんな場所に行っちゃいけないよ」
彼の言う通り、僕は運が良かっただけなのかもしれない。実際のところ、危ない目に一度も遭わなかったわけではないのだ。それはカメラ片手に線路の上を歩いていたときのことだった。例によって暇そうな子供達が周りに群がり始め、僕はたちまちもみくちゃにされた。それはいつものことだったし、特に危ないとは思っていなかった。群がっているのは、みんな10歳以下の子供なのだ。ところが、子供達を払いのけてカメラバッグをあらためると、入れておいたはずの50mmの交換レンズが消えていた。
やられた、と思った。子供だと思ってつい油断した。でも次の瞬間に、信じられないことが起きた。一人の男が悪ガキの手からレンズを取り戻してくれたのだ。どうやら盗んだ子供にしても、その価値もわからずに物珍しさから手を出してしまったらしい。それでも、男は子供の頭を思いっきり平手で叩きながら、「そういうことは絶対しちゃいけないんだぞ!」と叱ってくれた。もしあの男がいなければ、僕のボスティに対する印象は違ったものになっていただろう。バングラ人に対する印象まで変わったかもしれない。
でも、危ない場面はそれだけだった。外国人だからといって、物乞いに目を付けられて金をせびられることもなかった。「外国人=金持ち=なにかを恵んでくれる人」という図式は、ここでは成り立っていないみたいだった。むしろ注目の的になるだけ、外国人である方が犯罪に巻き込まれにくいのかもしれない。
知らない国を旅するというのは、目隠しして道路を横断するようなものだと思う。ある道路はほとんど車も通らないし事故も起きないが、別の道路では車の往来が激しく事故に遭う危険性も高い。でも、事故を恐れていつまでも同じ場所に踏みとどまっていたら、その先にあるものを見ることは出来ない。大切なのは、目隠しをされていてもこの場所が危険なのかを察知できる嗅覚と、最後は自分で責任を取るしかないんだという一種の開き直りである。あとはそう、「運」頼みだ。
結局、僕はハルさんの言うことを聞かずに、次の日もボスティを歩いた。ボスティでは、ここでしか見られないような変わったものや面白いものを、いろいろと目にすることが出来た。
例えば、線路沿いのある場所では青果市場が立つのだが、これがすごい。何しろ、人々は列車が通過するところから1mも離れていない場所に、トマトやココナッツやジャガイモの入った籠を置き、そこで商売をしているのだ。売る方も買う方も、ひとつ間違えると列車の下敷きになりかねないという危険と隣り合わせの市場なのだ。
しかし、これくらいで驚いてはいけない。わざわざ鉄のレールの上に売り物を乗せて商売をする男達もいるのである。彼らは次の5つの行動パターンを繰り返していた。
1.レールの上で商売をする
2.列車の接近を知らせる汽笛が鳴る
3.慌てて商売道具を撤去する
4.列車が通過する
5.再び売り物をレールの上に戻す
東京の山手線ほど頻繁ではないにしても、このレールを通過する列車の本数は決して少なくない。だから男達はこれを15分に一度の割合で繰り返すことになる。どうしてレールの上でなくちゃいけないのか、僕にはどうしても理解できないのだが、もちろんやっている本人は大真面目である。命を張っているのだ。
僕も暇だから、線路脇に1時間ほど座り込んで、彼らの行動をじっくりと観察していた。彼らはいつも、列車が来るギリギリまで商売をやめない。そして、「あ、危ない!」というタイミングまで列車を引きつけておいて、ようやくかわすのだった。
それはすごくシュールなシチュエーション・コメディーを見ているみたいだった。見れば見るほど、バングラ人のことがわからなくなった。やはりここは僕らの常識を飛び越えた国なのだ。
磨かれない宝石
ボスティには、思わず足を止めて見とれてしまうほど美しい少女もいた。少女は汗と埃で汚れたシャツを着て、共同の井戸で水を汲んでいた。何よりも目を引いたのが、彼女の身のこなしだった。井戸のポンプから伸びるレバーを両手で握り締め、両足を踏ん張って背筋をぴんと伸ばし、力を込めて上下させる。それは街のどこでも行われている日常の光景なのだが、彼女の身のこなしは特別だった。全身から生きる力がみなぎっていて、それが水汲みという動作を通じて周りに放射されているのだ。
気が付くと、僕は少女にカメラを向けていた。おそらく顔を背けられるだろうと思いながらファインダーを覗くと、彼女が少しはにかむのが見えた。それは眩しく透明な笑顔だった。たとえ磨かれていなくとも、自ずと輝く宝石があるとすれば、彼女はまさにそれだった。しかも、彼女は自分自身の輝きを全く意識などしていないのだ。
僕が数回シャッターを切ると、周りにいた男の子達が「じゃあ俺も撮ってくれよ」と騒ぎ立てたので、それ以上彼女を追うことは出来なくなってしまった。少女は二つのバケツを水で満たすと、天秤棒を通して肩に担ぎ、しっかりした足取りで運んでいった。そしてボロ布を被せた小屋のひとつに消えた。
ダッカは様々なものが混ざり合った街だった。醜いもの、美しいもの、臭いもの、絶望的な貧困、したたかに生きる力。そのうちの何かひとつだけを取り出して「これがダッカだ」と言うのは、僕は無意味なことだと思う。
手のつけようのない混沌こそがダッカであるし、たぶんその混沌を肌に感じたくて、僕はボスティを歩き続けたのだ。