たびそら 写真家・三井昌志
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写真家・三井昌志が撮る素顔のアジア
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Author Archives: 三井 昌志

シベリア鉄道は世界一退屈な乗り物だ

5泊6日、車窓の景色はずっと変わらない。この退屈さをくぐり抜けることで、ロシアという国のうんざりする広さを体で感じた。

2001年8月19日旅行記2001By 三井 昌志

モスクワ航空ショー

航空ショーの花は編隊飛行だ。5機の戦闘機が行う技は、クロナイズド・スイミングに強いロシアの伝統が生かされているのかもしれない。

2001年8月15日旅行記2001By 三井 昌志

バルト三国でビザを取れば、ロシアは自由に旅できる

ロシアには美人が多い、という噂は本当だった。肌が白く、ナチュラルな金髪、目鼻立ちの整ったスラブ系美人。だが無愛想だった。

2001年8月10日旅行記2001By 三井 昌志

アウシュビッツ収容所

第二次大戦中、ユダヤ人が最後に辿り着いた終着駅。囚人たちのほとんどは、餓死するか、伝染病で死ぬか、ガス室に送られて殺された。

2001年7月29日旅行記2001By 三井 昌志

プラハの美しい街並みとミュシャ美術館

チェコの首都プラハの旧市街は美しかった。石畳の道にはしっとりとした落ち着きがあり、建物には統一感があった。

2001年7月26日旅行記2001By 三井 昌志

ブダペストの日本人宿・ヘレナハウス

日本人宿の特徴は、安い、長期滞在者が多い、変な人が多い、の3点。ハンガリーの首都ブダペストにある日本人宿もクセのある旅人の巣窟だった。

2001年7月18日旅行記2001By 三井 昌志

サラエボに残る内戦の傷跡

1992年から3年半続いたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦。27万人が死んだ戦争で、サラエボの街は深く傷ついていた。

2001年7月11日旅行記2001By 三井 昌志

ルーマニアの家畜市

家畜市の中でとりわけ印象残っているのが、家族とともに子馬を売りに来ていた少女だった。

2001年7月1日旅行記2001By 三井 昌志

ルーマニアの名産品は美人と酔っぱらい

ルーマニア人は東欧の中で唯一ラテン系の民族で、明るく情熱的な国民性を持つという。

2001年6月28日旅行記2001By 三井 昌志

国民の館・独裁者の夢の跡

ブカレストに聳える「国民の館」は巨大な宮殿だ。この建設のためにルーマニア経済はひっ迫し、国民が困窮を強いられた。

2001年6月24日旅行記2001By 三井 昌志
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All Images and Original Text © Masashi Mitsui