8月212001 ウランバートルは巨大な団地 モンゴルの子供たちは懐かしい顔をしていた。昭和初期の日本を写したモノクロ写真のようだった。日本人以上に日本的な顔だった。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志
シベリア鉄道は世界一退屈な乗り物だ 5泊6日、車窓の景色はずっと変わらない。この退屈さをくぐり抜けることで、ロシアという国のうんざりする広さを体で感じた。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志 8月192001
8月152001 モスクワ航空ショー 航空ショーの花は編隊飛行だ。5機の戦闘機が行う技は、クロナイズド・スイミングに強いロシアの伝統が生かされているのかもしれない。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志
バルト三国でビザを取れば、ロシアは自由に旅できる ロシアには美人が多い、という噂は本当だった。肌が白く、ナチュラルな金髪、目鼻立ちの整ったスラブ系美人。だが無愛想だった。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志 8月102001
7月292001 アウシュビッツ収容所 第二次大戦中、ユダヤ人が最後に辿り着いた終着駅。囚人たちのほとんどは、餓死するか、伝染病で死ぬか、ガス室に送られて殺された。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志
プラハの美しい街並みとミュシャ美術館 チェコの首都プラハの旧市街は美しかった。石畳の道にはしっとりとした落ち着きがあり、建物には統一感があった。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志 7月262001
7月182001 ブダペストの日本人宿・ヘレナハウス 日本人宿の特徴は、安い、長期滞在者が多い、変な人が多い、の3点。ハンガリーの首都ブダペストにある日本人宿もクセのある旅人の巣窟だった。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志
サラエボに残る内戦の傷跡 1992年から3年半続いたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦。27万人が死んだ戦争で、サラエボの街は深く傷ついていた。 Read details 旅行記2001By 三井 昌志 7月112001