僕が笑顔を撮る理由
シンハラ人もタミル人も同じように笑います。バッタク人もアチェ人も同じように笑う。日本人も中国人も同じように笑う。その真実を前にすれば、乗り越えられない違いなんてありません。
シンハラ人もタミル人も同じように笑います。バッタク人もアチェ人も同じように笑う。日本人も中国人も同じように笑う。その真実を前にすれば、乗り越えられない違いなんてありません。
今から振り返ってみれば、ニートだった数年間は僕にとって必要な時間だったと思います。
しつこいことで有名なのは、パキスタンとトルコです。日本人と見ると反射的に声を掛けてくるような輩が特に多いようです。
フォトグラファーになる決まった道というのは存在しません。紆余曲折を経て、結果としてなってしまった、というものだと考えています。
幸いなことに、カメラが壊れて使い物にならなくなった、という事態に陥ったことは一度もありません。
「あなたが死ねばみんなゴミなのだ」
その通り。僕らはもっとシンプルになるべきなのかもしれません。
青春というものは不可逆的に失われゆくものだ。そういう哀しみのようなものを、僕はこの「一号線を北上せよ」から感じてしまうのです。
旅フォトグラファーにとって、デジタルカメラのメリットは計り知れない。
今までいろいろな航空会社の飛行機に乗ってきたけれど、一番機内食が美味しくてサービスも良かったのがエミレーツ航空だった。
特に女性からの誘いに弱い。どうです? 当たってませんか?
実際のところ、僕にとって「写真を撮ること」よりも重要なのは「その場所に立っていること」の方だ。
「ウノハウス」は「変」な宿だった。外見は京町家風。「町家」なんていうと文化遺産のようにも聞こえるけれど、要するにただの古い民家である。