中国は国じゃない。ひとつの世界だ。
内モンゴルでは広大な砂漠地帯を走り抜け、チベット高原の山道を登り、雲南省では亜熱帯の植物が生い茂る地域を通った。
内モンゴルでは広大な砂漠地帯を走り抜け、チベット高原の山道を登り、雲南省では亜熱帯の植物が生い茂る地域を通った。
バスの車掌はサービスのために乗っているのではなく、お客と対決し、大声で怒鳴ることを仕事としている。
中国人にガイジンだとわかってもらうためにどうすればいいか。僕が出した結論は「パーマをかける」だった。
麗江の町は細い路地が複雑に入り組んでいて、ぶらぶらと「町迷い」するにはうってつけだった。
空は見たこともないような青さだった。汚れというものを知らない、純粋な青が頭上に広がっていた。
パンダの檻は意外なほど注目度が低かった。きっと中国人はパンダなんて見慣れているのだろう。
死が新たな生への再生を意味する輪廻転生の視点から見れば、火葬よりも鳥葬の方がより自然な葬送なのかもしれない。
マニ車をまわしながら、寺院の周囲を回り続けることによって、巡礼者は輪廻転生を疑似体験しているのではないか。
それは「便所臭さ」というレベルを遙かに超えたもので、鼻だけでなく目の粘膜までも刺激するほどの濃密な臭気だった。
言葉が違い、生まれ育った文化も違う人同士でも、共に歌うことでその場の空気を共有することができる。