思い出の宮沢りえ
「ミャンマーでは町中でヌードやポルノグラフィーが手に入らない。だから日本は素晴らしい」と彼は言った。
ミャンマーが世界でも指折りの「親切大国」であるということに、異論を挟む人はいない。
ミャンマーの田舎で行われていた村祭りには、おめかししてビデオを鑑賞する女の子や、サッカーに熱狂する若者、ライフルを持った兵士がいた。
バガン遺跡を訪れると、膨大な数のパゴダ群に言葉を失う。高さ50mを超える巨大なものから、わずか3mほどのミニパゴダまで、その数は三千を超える。
ミャンマーの男子は剃髪され、見習い僧として数週間あるいは数ヶ月お寺に預けられた後、再び俗世に戻る。
ボー・ミン・ガウンの第一印象は「テキ屋の親分」である。着流し姿で立膝を付き、頭髪は五分刈りで、煙草をくわえ、眉間に深い皺を寄せている。
ヤンゴンの街は路地裏が面白かった。そこには下町の飾らない日常生活、素顔のヤンゴンがあった。
ミャンマー最大規模のパゴダ「シュエダゴンパゴダ」は高さ99mの塔。黄金のテーマパークだ。
イラン人の妻がいるというコンクリート会社の社長イーさんが、夜な夜な連れ込み宿で行っていたこと。
映画館がない国ラオスで奇跡的に営業していたボーリング場には、案の定閑古鳥が鳴いていた。
世界遺産にも登録されているラオスの古都ルアンプラバンで毎朝行われている托鉢は、信仰確認のための神聖な儀式だ。
ラオスの山村の人々は、山や川に分け入って、燃料や材木や動物の肉を得ている。文字通り、自然と共に暮らしている。