メコンデルタに生きる子供たち
2週間で、僕の中のベトナム地図はすっかり形を変えた。この先も僕の常識や価値観は揺さぶられ続けるだろう。
2週間で、僕の中のベトナム地図はすっかり形を変えた。この先も僕の常識や価値観は揺さぶられ続けるだろう。
高カロリー食品の誘惑に囲まれた環境に育った人間には、痩せることもまた至難なのです。
あの眠たげで半分投げやりな雰囲気というのは、ベトナムの他のどの町にもないものだった。
ベトナムで一番よく食べたものはフォーだったが、ホイアンでは汁なしうどんのカオラウが有名だ。
貸し自転車は、シクロとの料金交渉の必要もないし、好きなところへ行けるから、「行き当たりばったり旅行者」にぴったりの乗り物だ。
ベトナムに来て以来、僕はなぜか「懐かしさ」を感じ続けていた。初めて目にしたはずなのに、ずっと以前から知っているような気がしていた。
最高速度でも、せいぜい時速7,80kmというところだろう。日本人の感覚からすれば、実にのんびりとした特急列車である。
遺体の状態は完璧だった。今にも、30年の眠りから目覚めて、ゆっくりと太極拳を始めそうだった。
ハノイはうるさくて埃っぽくて気忙しい街だったが、同時にとても魅力的だった。何もかもが日本とは違っていた。
『重慶大厦』は節約旅行家のあいだでは有名な安宿ビルで、欧米人や東洋人のバックパッカーも何人か見かけたが、その数は決して多くはなかった。
やはりこの3人はグルなのだ。イカサマで儲けさせてやるというオイシイ話をちらつかせておいて、逆にこっちの金を巻き上げようという魂胆なのだろう。
僕の長い旅は、香港の薄暗い雑居ビルの一室から始まった。出発からわずか4日目にして、この先の旅行資金の全てを失いかねない大ピンチに立たされていた。