ラオスの宴会で栓抜きがいらない理由
まだ二十歳そこそこの女の子が、ビール瓶を奥歯でくわえて「シュポ」っと栓を抜いたのには驚いた。
まだ二十歳そこそこの女の子が、ビール瓶を奥歯でくわえて「シュポ」っと栓を抜いたのには驚いた。
「東南アジアの田舎」とも呼ばれるラオスの中でも、北部の山岳地帯は特に貧しい地域だった。
国境の町チェンコーンから渡し船でラオスへ。スピードボートでメコン川を遡り、シェンコックに向かった。
エアコンはずっとスーパーの乳製品コーナーのようなマックスパワーの冷気を出し続けていた。
カンボジアの北部には、路線バスはほとんど走っていないから、陸路での移動となると「乗り合いピックアップトラック」を使うのが一般的だ。
ビールのスプライト割りには閉口したが、料理は豪勢だった。普段はあまり食べない肉類を、目一杯食べようという晴れがましさが伝わってきた。
世界最大級の仏教遺跡アンコールワットには、聖人と俗人、500年前から制止したままの時間と、今を生きる人々が共存していた。
タ・プロム寺院を見たとき、僕は全身に鳥肌が立った。これほど圧倒的な、凶暴なまでの自然の力を目にしたことがなかった。
「たくさんの人が死んだ」と彼女は言った。「でも、ポル・ポトは死んだ。クメール・ルージュもいない。終わったんだ」
2001年1月1日。20世紀から21世紀への変わり目を、僕は蚊帳の中で迎えた。
2週間で、僕の中のベトナム地図はすっかり形を変えた。この先も僕の常識や価値観は揺さぶられ続けるだろう。
高カロリー食品の誘惑に囲まれた環境に育った人間には、痩せることもまた至難なのです。