香田証生さん殺害事件
彼はイラクに行って死んだ。僕はイラクに行かなかったが、行く可能性はゼロではなかった。いくつかの可能性を取捨選択する中で、僕は今ここに生きている。
彼はイラクに行って死んだ。僕はイラクに行かなかったが、行く可能性はゼロではなかった。いくつかの可能性を取捨選択する中で、僕は今ここに生きている。
美味しいものを食べ、青空の下で遊び、大声で歌う。それだけで人は幸せになれる。
トルコ国境を越えてからも、長距離バスを乗り継ぐだけの日々が続いた。気持ちはイスタンブールに向かっていた。
アヘンやヘロインの原料になるケシの栽培は、野菜や小麦を作るように普通に行われていた。
道のりがハードになるほど、得られるものが大きくなる。アフガニスタンとはそういう土地だ。
死ぬことは別に怖くはなかった。父さんや母さんにもう会えないんだな、と思っただけだ。
バーミヤンの男達はとても存在感があった。農夫の顔には彫刻刀で彫ったような深い皺が刻まれていた。
ジャララバードと首都カブールを結ぶ唯一の公共交通機関は乗り合いハイエースだった。
ペシャワールの「ツーリストイン・モーテル」には、アフガニスタンへの陸路入国を試みる旅行者が集まっていた。